あなたへの手紙・日向真理愛

未完成の人生を生きる私が「あなたに会えてよかった。」そう手紙を書きます。

あなたへの手紙✨光の柱

あなたが居るだけで…。
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空を見上げた時に

雲に隠れた太陽が  ほんの少し顔を出して

そこから  光が

放射しているのを見つけたら

思い出してください

 

地上に暮らす  あなたも同じ

 

何かに隠されそうになった時にも

光を放っていることを…。

 

光の柱は  何処か遠くに

探して  見つかるものではありません

 

あなたが居るだけで

あなた自身が  光だということを

思い出してください

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

何気なく日常を暮らしていると

自分の内に光が宿っていることを

忘れてしまいがちです

 

*わたしの場合  少し前まで

     自分が光と共に在ることすら

     気付かずに生活していました

 

けれど  注意深く見守っていると

自分の内に  愛を見つけて

美しい光を抱いていることに気付きます

 

そして  美しいものに囲まれて

自分自身が  自分の存在を

大切にした分だけ

 

光を増していくことに

気付いていきます

 

光…。

漠然と光と言っても 

言葉には  し難いものですが

 

イメージできるでしょうか…?

 

例えば  それは

誰かや何かを  大切に思うエネルギー

この世界の美しいものと共鳴するエネルギー

 

笑ったり喜んだ時のエネルギー

哀しみや痛みを超越するエネルギー

 

自分の鼓動が地球と調和するエネルギー

音楽と共に振動するエネルギー

 

それから

自分の内側に在る  宇宙のエネルギーや

地上の生き物と響き合うのエネルギーetc.

 

あなたが居るだけで

 

そこには

限りないエネルギーが

光となって存在します

 

意識しないと 分かり難いですが

 

自分自身のエネルギーを

感じる為に

 

無意識の内に

出しっ放しにしているエネルギーを

一度止めてみるとよいかもしれません

 

何かに  又は誰かに

想いや  言葉

行いを注ぎ続けているのなら

 

それを止めてみるのです

 

それから

人と一緒に居る時などに

 

感情や気分を受け取ったり

察したりしているならば

 

意図して  周りの状況から離れて

見ず  察しず

触れないようにしてみます

 

 

 

そして  自分のエネルギーを

感じてください

 

時に  軽やかに  キラキラして

ある時は  重くどんよりしていたり

その時によって違います

 

それでも  どんな時にも

あなたのどこかに 

光が煌めいているのだと 

感じられると思います

 

そうして一人一人が

自分の中に在るエネルギーを

心地好く振動させて

 

明るく輝くと

光の塊になるのを感じられるかもしれません

 

その光が大きく強くなって

外側に放たれていくのです

 

そうしてこの世界は 

光…愛や希望や慈しみの

エネルギーの振動に

包まれていくのだと思います

 

そして  隣にいる大切な人や

目の前にいる出逢いの中に

 

光は  静かに

確かに伝わって

流れていくのだと思います

 

あなたの中に存在する

光を隠さないでいてください

 

回復していく地上の片隅から

あなたの幸せをお祈りします

mary

あなたへの手紙✨愛を呼んでみる


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愛…それは

言葉にするのがとても難しいもの

 

目に見え難くいものだから

触れにくいものだから

 

そして  一通りではありません

 

愛の在り方は  皆違います

 

けれど確かに 

《愛》は誰の内にも

存在しているのだと思います

 

・・・・・・・  ***  ・・・・・・・・

 

あなたが思う  愛

それは  どんなものなのでしょう

 

あなたは  愛を

抱いていますか

 

あなたは  愛に

触れていますか

 

そして

あなたの  愛は 

何処からやって来るのでしょう…。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

この世界には  沢山の

愛の形が  存在します

 

例えば  それは

 

神様(信じる対象は様々ですが)への愛

自分への愛

他者への愛

親子の愛

肉親への愛

動物への愛

自然への愛

異性又は同性へのsexualな愛

地球への愛

宇宙への愛etc.

 

それから

与える愛

受け取る愛

分かち合う愛

手放す愛

無償の愛

刹那な愛…etc.

 

ほんの少し思い浮かべて

数えても  切りがないほど

 

愛の形は  そして

愛を感じる対象や  愛の注ぎ方は 

各々なのだと思います

 

どの愛も

その時に  必然で

その時にしか  抱けない

唯一の愛なのだと思います

 

中でも  恋+愛は

特別で  個人的で複雑で

 

人が人を 

より強く思えるのかもしれません

 

人を思う愛は 

とても美しいのだと思います

 

何かを

大切に思い続けられるなら

幸せと  呼べるのかもしれません

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

今  人の暮らし方が

大きく変化していく過程で

 

今迄の当たり前だったことが

少しずつ通用しなくなっています

 

この先  一年前の暮らし方と同じ暮らしには

ならないような気がします

 

失った…。

そう感じるものも 

沢山有るかもしれません

 

けれど  反対に 

 

困難な時だからこそ

自分の内側で

変わらずに在り続けているものへ

目を向けられる時なのかもしれません

 

今までは  つい安定した生活や 

豪華な沢山のものに囲まれることを

豊かさだと思いがちでしたが

(勿論それも大切なことです)

 

多くの人が  同じような困難に

遭遇している  今だから

 

心の中に  揺るぎない《愛》を

抱いている自分自身に気付く

とても希有な  チャンスのような気します

 

それは  決して誰かと

比べられるものではありません

 

けれど

漏れなく  全ての人にとって

 

自分と向き合い

自身の内に存在する

《愛》を  実感する

チャンスなのだとしたら…。

 

期間限定ではないですが

今だから感じられることを得る体験は 

限定ギフトのような気がするのです

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

心の中で

『わたしの愛』と  呼んでみる(*^-^*)

   ~~~~~~~~~~~~~~~~

自分自身の内に在る

ずっと在り続けた《愛》は

視線を向けて

見ることで  ハッキリしていきます

 

いつも意識を向けることで

エネルギーが行き渡り

大きく広がっていくような気がします

 

自分の内に在る《愛》を

いつも意識することが

とても大切なことだと感じます

 

そうして暫くすると

まるで  大樹が

心の中に深く広く根を張っていくように

 

大きく枝葉を広げていくように

 

どんな時にも健やかに居られるような

安らぎを感じられるのかもしれません

 

心の中に  確かに《愛》が

抱けるようになって

 

愛は  抱く本人を満たしていきます

 

満たされていたならば

 

この広い世界で

どんな相手へも

相手の何処か一部でも

愛を感じることができるかもしれません

 

愛は響き合うからです

 

愛の対象が  どんなに変化しようとも

自分の内に  変わらぬ愛が在ることで

安心して居られます

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

愛は  何処からか

届けられるものだと思っていました

 

愛は  誰かから

受けとるものだと思っていました

 

でも  それだけでは

いつか枯渇してしまいます

 

外に求めた愛だけでは

自分の思うままにはならないのです

 

心の中に  確かに在る

《わたしの愛》を

いつも感じて居られたら

心は平和で居られるかもしれません

 

胸に手を置いて

静かに  そっと心の中で 

《愛》を呼んでみませんか

 

霧雨に覆われた大地の片隅から

あなたの幸せをお祈りします

mary

あなたへの手紙✨ただ ひたすらに


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落ち込んで  沈んだ気持ちの時

 

ほんの些細なきっかけから

心の中に変化が生まれる時があります

 

現実の状況は変わっていないのに

気持ちの中に光が指して

フッと明るくなるような瞬間が

あるのです

 

それは  あがいている時よりも

半ば諦めて  身体や心の力を抜いた時

 

・・・降って来るのかもしれません

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

厳しい現実が  目の前にあると

力を抜くことは

難しいかもしれません

 

そして  あがかずには居られない時の方が

多いかもしれません

 

もしかしたら

ずっと同じ答えを探して

堂々巡りをしていたり

 

まだ知らない未来なのに

最悪のシナリオを考えていることが

あるかもしれません

 

そんな

硬くなった自分の力を抜くには 

 

一つのことを

ただひたむきにやり続けることが

効果的かもしれません

 

単純なことを繰り返し行うこと

 

例えば  

それは  ある人にとっての 

拭き掃除や

写文であったり

 

ラケットやバットの素振り

キャベツの千切りだったり

塗り絵…etc.だったりするのです

 

頭を使わない

単純な繰り返しを

ひたすら集中して  

 

少し疲れるくらい

行ってみるのです

 

役に立つかもしれないこと  とか

問題解決のための  とか考えないで 

思い付くことをやってみます

 

そうしていると

自分の中で使っていなかった部分が

ジワッと  動き出すような気がします

 

すると  今まで使っていなかった感覚が

行き詰まっていた思考に

新鮮な発想を加えたり

 

気持ちが  スッと軽くなったり

 

思いがけないことが

起こります

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

きっかけは  ほんのささやかな

単純で小さなこと

 

それなのに…。

 

不思議なくらい

心や  気持ちを

変えてくれることがあります

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

変化している現実の流れは  なかなか

計画通りに動いてくれないかもしれません

 

そんな時  ここではない何処かへ

《幸せの青い鳥》を

探しに行きたくなりますが

 

いつもの場所で 

小さな単純なことをして

 

心や身体を緩めていたら

素敵なことが始まるかもしれません

 

雨が地上を潤していくように

心も潤っていきますように

 

同じ空の下

あなたの幸せをお祈りします

mary

 

あなたへの手紙✨個々の中に…。

尊重
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人が命として  この世界に生まれて

肉体も心も  同じように

成長して大人になるのだと

 

そう思っていました

 

けれど 

個の命の在り方は 

同じではありません

 

言葉を話す時期

歩き出す時期

考える力

創造する力

身体を動かす力

 

・・・それ等を能力と言うのかは

分かりませんが

 

どれ一つとっても 

同じでは無いようです

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

一番身近で  別の命を感じたのは

子育ての時期

 

小さな命と出逢って

子育てが始まって 

 

人が成長していく様子を

直ぐ側で感じられた時間です

 

日々  私の中に恵まれる

嬉しいこと

楽しいこと…それだけでは収まらない

 

苦しいこと

悲しいこと

怒ったこと…etc.も沢山味わって

 

長い間

自分とは  全く違う命に

深く触れていきました

 

別の人の人生を

まるで  疑似体験するように

 

人が生まれてから

成長していくことを見せて貰って

 

各々が違う個性を持つ驚きや

 

違っていても各々が

大切だということを感じた

 

人に深く触れる時間でした

 

 

子育ての  初めには

『元気で居てくれたら それだけでいい』

想いだけだったのに

 

子供の背丈が  自分と同じ程になると

 

知らぬ間に  自分の描く

《良い子》であって欲しい

想いまで盛り込んでいた日々

 

                          ***

 

その原因が  自分が育った頃に 

体裁や外見が一番大事だと

身に染みていた…。

と  思い込んでいたからなのか

 

・・・それとも

もっともっと深い部分に強く

 

『人と同じにしなければ』

そんな考え方が埋め込まれていた…?

からなのかもしれませんが

 

『人と同じでなければいけない』と

強いるようなエネルギーは強大です

 

もし  その力を

もっと自由に

思い切り

別の何かに向けられるとしたら…。

 

力は

無限に湧いて来るかもしれません

 

 

小さな命は

エネルギーの塊で

 

そのエネルギーは

外へ向かって発散され続けます

 

でも  命の有りの侭のエネルギーは

成長する過程で

 

型にはまる為や

人と同じになる為や

誰かの気に入る自分になる為に

 

心の何処かに

隠されてしまいます

 

・・・けれど 

在り続けているのです

 

小さな命のエネルギーは

見つけたら  何時でも 

呼び覚ますことができるから

 

一つずつ  自分の真実を見つけて

尊んで  重きを置くと

だんだん  輝きが増していく…。

 

それは他の誰かが

尊重してくれるのとは

少し違います

 

自分の姿を

誰かに合わせなくなったら

 

呼吸するのが

楽になるかもしれません

 

人の成長する

早さも  

力の強さ 

方向も

各々に違っていると思います

 

今  此所に在る命

自分の命を

尊ぶこと   

大切に重んじることで

 

生まれた時の力強い

命のエネルギーは

輝き出すのかもしれません

 

もし  今日

自分を否定したくなったら

一つでいいから

取り消してみませんか

 

そして

代わりに

好いところを

一つ見つけてみませんか

 

雨降りの肌寒い大地の片隅で

あなたの幸せをお祈りします

mary

あなたへの手紙✨痛みの中で

痛みを感じたら
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心でも

身体でも

痛みを感じたら

そこには意味が

あるのかもしれません

 

環境が変わったことで

身体や心の使い方に慣れなくて

体調や気分が優れない日

 

微かな意味を感じるのです

 

痛みを感じる自分が

選択をしている方向性や

 

痛みを感じることで  回復した時に

生きていることを実感することや

 

回復した先に生きている

新しい自分を見つけられること

 

祈りたくなる想いや

 

可能性を感じること…etc

 

 

大抵は  無事に痛みが去って

ほっとする(*^-^*)くらいのことですが

 

何かを経験したら

その前と  その後では

きっと大きな違いがあるのだと

思うようになりました

 

だから  痛みを感じるのが

身体の時も心の時も

 

『今の不調を乗り越えたなら 

    また  新しい出逢いが起こる』

・・・そんな風に思ったりするのです

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

もし  今のこの時に居なければ

知らなかったことがある…。

 

過去のあの時のままならば

知らずに終わってしまったことが

沢山あるような気がするのです

 

その中に在る  純粋な痛みは

とても沢山のことを知らせてくれます

 

自分を労れなかったこと

無理に自分を合わせたこと

 

危険なことから遠ざけてくれたこと

自分が一人の小さな人間だと知らされること

 

この世界の空の下  同じように

痛みに苦しむ人がいること…etc.

 

痛みを感じたから知ったことは

きっと  まだまだ沢山あるのです

 

時々  痛みを感じたら

その後の自分を楽しみにして…。

(痛い間はそれどころではありませんが)

痛いことだけに集中します

 

その痛みの手当てができるのは

きっと  自分だけだから

 

何をしたら楽になるのか

一つずつ  丁寧に確かめてみます

 

身体の痛みなら

頭を冷やしたり

身体を温かくすること

必要以上に食べないこと

薬になるものを使う…etc.かもしれません

 

それでも手当てできないなら

医療機関へいくかもしれません

 

それから  心の痛みなら

痛みを感じたことを書き出してみる

 

自分を否定する気持ちが有るなら

ポジティブな言葉に言い直してみる

 

痛みの原因から  そっと離れてみる

身体を動かす

深呼吸する

 

・・・痛くても  そのくらいなら

できそうな気がします

 

自分にならできること…です

 

できることをして

痛みの時間を過ごします

 

そうして  痛みから解放されると

少しだけ  ほっとするのです

 

痛みを遣り過ごせた自分を

誇らしく思ったりするのです

 

この痛み

どうやったら通り抜けられる…?

工夫していく内に

 

沢山の引き出しができて

ちょっとだけ痛みに強くなったりします

 

身体や心の使い方を

今に生きる自分なりに

 

自分のことを大切にする扱いを

工夫してみるのです

 

痛みのように特別な感覚は

大切に手当てすることしかありません

 

放っておいて  身体や心の中で 

痛みの原因が見えなくなって

大きな塊になると

手当ては届き難くなるから

 

他のもので代用して

目をそらさないことが重要です

 

化学物質を避けること

趣向品を必要以上に摂らないこと

・・・そんなことも

少しだけ気にしながら

 

毎日の暮らしの

喜びや楽しみに  焦点を絞って

 

時々襲われる痛みを

通り過ぎていけるように工夫します

 

乗り越えられないことは

この人生には起こらないように

決めて生まれて来たのだと思うから

 

痛みの中にあなたがいるなら

痛みの先にある  未来に

辿り着けますように…。

 

青空の下

あなたの幸せをお祈りします

mary

あなたへの手紙✨幸せは感動と共に…。


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幸せの感じ方は人各々

 

愛に包まれた時に感じる幸せ

美しいものを目の前にした時に感じる幸せ

物質に満たされて感じる幸せ

物事が思い通りになって感じる幸せ

誰かの役に立ったと感じる幸せ

…etc.

 

それから

心が震える体験をすることで感じる幸せや

実体験ではなくても

物語や誰かの姿に感動して感じる幸せ

 

この世界には沢山の幸せが存在します

 

それは  小さな  

ささやかな感動と共に  心を温かくして

喜びを感じさせてくれます

 

あなたの周りの世界には

美しい花が咲いていますか?

 

それから  美しい音楽が聞こえますか?

 

大切な人を見つめることや

手を繋ぐこと

抱き締めることがありますか?

 

素敵な物語を読んで 

心がふるえて涙することがありますか?

 

映画や映像の中の主人公に自分を重ねて         

ワクワクすることがありますか?

 

                        ***

 

人生に恵まれるものや恵まれる時期は

人各々に違います

 

その恵まれたことを 

幸せに感じるかどうか…それも

人各々なのだと思います

 

・・・それでも  この世界に生まれて

 

人生に起きたことを味わいに来た

そして  楽しむ為に来たのなら

 

見つけて

感動して

幸せを感じてみたいと思いませんか?

 

もしかすると

幸せに気付ける瞬間は

そうでない時間と同じか

それより少ないのかもしれません

 

人との距離が広がって

慣れないけれど

 

感動する瞬間が

無くなった訳ではないから

 

周りを見回して

自分だけの世界の中に

感動を探したら

きっと見つかるような気がします

 

そして  感動することに出逢った幸せを

思い切り味わって

抱き締めてみるのです

 

小さな感動だとしても

知らなかった昨日より

ずっと豊かで幸せな今日だと思うのです

 

幸せは  全部ではないけれど

感動と共にある…そんな気がするのです

 

同じ大地の上から

あなたの幸せをお祈りします

mary

あなたへの手紙✨寂しさ

独りでも…そうでなくても…。

寂しさは時として 

苦味を連れてやってくる


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だから  寂しいと 

その場から逃げ出したくなる

 

そして  甘美な方へ

違う場所や誰かへ

自分の方から流れていきたくなる

 

たぶんそれは  一人で居ても

大勢の中に身を置いても

 

寂しいと感じる時に襲ってくる

防衛本能?みたいなもの

なのかもしれない

 

寂しさは

とても個人的なものだから

 

誰かから 

埋めて貰えたり

分かって貰ったり

 

自分から流れていって

無くなるものではないのかもしれない

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ある日深く強く

どうにもならない寂しさに

出逢ってしまって

 

抗っても  離れようとしても

捕まってしまった

・・・そんなことは無いだろうか

 

ずっと寂しさは心の奥に有ったけれど

 

今までの 

何となく抱えていられた

寂しさではないものに出逢うこと

・・・そんなことは無いだろうか

 

決定的で埋めようがない寂しさは

 

初め

生き苦しさや 

不自由さを持ってやってきて

重く重くのし掛かる

 

逃げ出したくなるのはそんな時…。

 

けれど  逃げ切れるものではないと

時間が経つ内に思い知る

 

寂しさは自分の内側にあるものだから…。

 

逃げ切れないと諦めて

寂しさと共に居ることを選んでみる

 

すると   

違った現実がやって来るらしい

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

寂しさは 

喪失したものへの執着と共にある

 

旅の途中でなくしてしまった

大切なペン…とか

 

大切な人から貰った

使い慣れていたのに

割ってしまったカップ…とか

 

なくなってしまったものが

大切なものなら

心にポッカリと穴が開く

 

同じペンを買っても

同じカップを買っても

代わりにはならないことを知っていく

 

それは《もの》なのに

ただの《もの》ではなくなって

大切な唯一の存在になっているから

 

その場所に大きな穴が空いてしまう

または

バランスがとれなくて

不安定になるかもしれない

 

それでも  《もの》ならば

いつか忘れられるかもしれないけれど

 

もし  それが

身近な人との別れや

仕事を失うことや

生きる環境全てが変わってしまう程

もっと大きなことで  長い間

心を通わせたりしていたとしたならば

 

失った時の  心の中には

その場所が空洞になって

暫くは呆然と立ち尽くすかもしれない

 

*有ったのに…。

*有ったら…。

*何故…etc.

 

そんな  幾つもの答えを探して

堂々巡りをして

 

寂しくて苦しくて  仕方ないけれど

どうにもならない時間を過ごして

 

頭の中で  寂しさは自分の中にある

そう分かっていても

心が  なかなか受け入れられないことや

 

自分の人生に与えられたものが

どれだけ自分を

温かく包んでいたかを知って

 

寂しさを与えた存在が  いつの間にか

心の中に生き続けるものだと自覚する

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

だから

寂しい…。と

感じることは

ギフトなのかもしれない

 

足りないことを

求めている自分が居ることを

知らせてくれているのだから

 

有った方がいい

そう思うものに出逢ったことを

知らせてくれたのだから

 

寂しさと会話することで

知らなかった自分の本質に触れ

 

寂しさを知って

新たな感覚に出逢う

 

あの寂しさが無かったら

知らなかったことが沢山ある

 

そして  現実は

寂しさと共に居る自分を

満たしてくれる…。

 

寂しさを味わう人生は

きっと豊かな人生なのだと思う

 

寂しさを感じたら

寂しいと  感じてみる

 

そして  時間をかけて澄んでいく心の中に

大切なものへの想いを抱いていく

 

波のように寄せては  引いていく

寂しさというギフトと

一生を共にするのだ  

 

それは  きっと

一人でも 

大勢の人の中に身を置いても

それほど変わらない

 

寂しさと共に居て

幸せを感じられますように…。

 

空を見上げて

同じ大地の片隅から

あなたの幸せをお祈りします

mary