人からいただくもの
生きていると、思わぬ贈り物をいただくことがあります。
励ましの言葉だったり、私という存在を認めてくれる眼差しだったり。気遣いの行き届いた品物だったりします。
メールが送らせてくることもありますが、多くは顔を合わせているときに、意図せず、相手の方から感じとるのです。
会って何時間一緒に居ても、自分のことについて話すばかりの人がいます。自分の世界から出てきません。同じ所をぐるぐる回っているので、他のことには目が向きません。話題を共有することができないのです。
最近は、生きてきたことで掴みとってきたことを教えてくれているのだと、思うことにしています。
人は、誰かから認められたい。
「そうだね。」と、言われたい、そう思います。認められて、また、今日を生きて行かれるのかもしれないのです。みんな、精一杯。
公園のベンチに座った時、電車に乗った時に周りを見回すと、本当にいろいろな人が居るのだなぁ。と、感じます。
こんなに沢山の命が息づいている。会うことはない、もっともっと沢山の命が在るのを想像します。それだけで自分の内側が刺激を受け取って変わっていきます。
このところ、人と時間を過ごしながら思うことです。いただくものが沢山あります。
人から届くものを、良いものとして受けとって生きて行かれたら、不満を持つことは無いのでしょうか。
「ありがとう。」
そう言って、受け取って生きています。
誰かの嬉しい思いが届くなら、それは私にとってご褒美です。
誰かの涙が届いたなら、一緒に泣くかもしれません。
誰かが迷って しまったら、また、はじめから歩いてみるかもしれません。
いただいたものが沢山あります。これからも沢山届くと思います。
それと同じくらい、誰かに何かを贈る人でありたいと思います。
mary