あなたへの手紙・日向真理愛

未完成の人生を生きる私が「あなたに会えてよかった。」そう手紙を書きます。

あなたへの手紙・境


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旧暦のお盆が目の前ですね。

帰省される皆様は、何時に無い暑さ対策に

水分補給の為の飲料水や

体温を下げる為の保冷用枕など

十分にご用意ください。

 

夏の日に熱中症によって

向こう岸に渡られる方が多くいらっしゃる

そんな報道に触れますが

此のお盆の時期は 

あの世と此の世の境が  ぼんやりとして 

生きている世界で《魔がさす》ようなことが

起きやすくなるそうです。

無事に1日1日を過ごされますように。

 

 

生きている日常を送る時  いちいち 

『今日が生きている最期の日だったら。』

そんなことを思うことはないかもしれないですが

今日が最期だったら

人は  何を望むのでしょう…。

 

そんなことを考えます。

 

 

覚悟もできず知らずに迎えた最期なら

思うのは  どんなことなのでしょう。

 

逝ってしまった人にも

遺されて生きる人にも

越えて行かなくてはならないものが

あるのかもしれません。

 

 

未だ  此方側に居る私には

遺されて  失った痛み哀しみを抱えて

その痛みや哀しみを 

磨いて生きることから生まれる

《希望の輝き》があることしか解りません。

 

 

 

居なくなった場所を見つめながら

・・・大切な何かを喪った人

あなたへ手紙を書きます。

届いたら…それは私の幸いです。

 

 

人生から去っていくもの

 

何の前触れもなく  逝く人がいます。

 

準備の時間を与えられて逝く人がいます。

 

どちらにしても

遺された人の哀しみは

言葉にできない程  大きく深く

暗闇が心を覆い尽くします。

 

 

喪ったばかりには   吠えるように泣き

慟哭の日々を過ごすのかもしれません。

 

泣くことが  救いになることも

有ります。

泣くことさえできない時も

あるからです。

 

 

生きて  遺された人々には 

目の前の暮らしが迫ってきます。

そして  喪ったことから発生する

様々なことを滞りなく行って

いかなければなりません。

止まることの許されない時間が流れます。

 

 

今迄とまるで違った生活なのに

変わっていないものに囲まれて

傷ついたり  居たたまれなくなったりしても

そこから立ち去ることはできません。

 

慣れない生活に慣れる為に

慣れないまま時間を過ごします。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

失ったことを認める時間が始まります。

それは  とても長い時間です。

 

(人に依って  費やす時間は違うのかもしれません…。)

 

 

目には見えない  自分の内側のことなので

他の誰かに教えて貰いたくても

答えは自分で探さなくては

見つかりません。

 

だから  そっと

静かに自分の内側に向かいます。

 

 

 

喪った存在…。

それは

大切な人

大切なもの

大切な何か…。

もしかしたら  自分自身かもしれません。

(健康、能力、肉体etc.)

 

 

人生には時々大切だと自覚した瞬間に

自分の人生から去っていくものがあります。

そんな時、残酷な現実に大きな衝撃を受けます。

 

 

失ったものの大きさに圧倒されて

大きな場所を埋めようとしてあがきます。

 

温もり 

言葉

もの

アルコール

 

 

代わりの何かを当てはめたくなりますが

代わりでは埋まらないことを知っていきます。

 

 

助けて欲しくなっても

助けて貰い方が解りません。

何かに助けて貰えると錯覚して

人のせいにしたくなります。

 

それでも何とか立ち上がろうと

懸命に  真面目に  真剣に 

暮らして

ふっと、我にかえって気付いたら

その暮らしの中には

痛みが

広がっていることに気付きます。

 

何故私だけ?

と言う問いに答えを見つけられず

大切な存在を奪われてしまった理由を探します。

 

境遇を省みて怒りや憤りをおぼえます。

その怒りや憤りの向かう先は

現在や過去。自分や他人に対してです。

 

自分の中に生まれた

行き場の無い怒りや憤りに

打ちのめされて傷ついて  そして疲弊します。

 

傷つきやすくなっていることに気付かず 

あちこちでぶつかったり  転んだりして

傷を増やしていくかもしれません。

傷口から血を流しているのに手当てもせず 

訳もわからず  ドロドロとした感情に支配され

自分を  また傷つけるかもしれません。

 

自分には見ることの無い  未来を

わざわざ想像して

絶望します。

 

どれだけの時間を費やして

自分を痛めつけるのか…。

 

自分が気の済むまで続きます。

 

「もう、お手上げ」

そう言う迄  痛み続けます。

打たれ強くて粘り強い自分が

ヘトヘトになって 

しがみついていた大切な《失った何か》を

手放す気持ちになった時

初めて気がつくことがあります。

 

もう《無い》ということ。

 

自分の人生を他人事のように見られるようになって

初めて  出逢ったことの真実を

見つけられます。

別れがあった  という事実にたどり着きす。

 

府に落ちる瞬間が訪れるのです。

 

そのうちに失った存在と

自分自身を

別の存在として認識できるようになり

各々を分けて見ることが

できるようになります。

 

*失った私

*私の人生からいなくなった(去った)もの。

初めから別の存在なのに

1つでありたい欲求が大き過ぎて

別々だと見えなくしていたのです。

 

自分の心の中の喪失を見つめて

傷ついていたことを知ります。

苦しんでいたことを知ります。

傷つきやすくなっていることにも

きちんと向き合えるようになっていきます。

 

自分の傷ついた場所を丁寧に手当てして

少しずつ心も身体も回復して

別の何かを身につけていきます。

 

内側が何かを身につけながら

少しずつ回復すると

外側の世界に

今までとは違う視野が広がります。

 

新しいものへ目を向け 

心を傾ける変化が起こり始めます。

慣れないものの中に

心を向ける練習を始めるのです。

 

その頃になって  やっと周りの環境が

変化し続けていることに気付きます。

意識的に自分自身も

変化することを模索し始めます。

 

経験から回復した心と身体は

《大切な失った何か》がなくても

そのまま安定していきます。 

 

何か他のもので埋め合わせたり

別の存在を見つけて頼らなくても

いつも穏やかにいられることを

知っていきます。

 

失ったものがいつも自分の一部として

存在することを感じられるのです。

 

長い長い時を費やしたお話。 

それでも

感情は寄せては返す波のように襲ってきて

その度に  同じように初めから1つずつ

心の糸をほどきます。

その繰り返し。

 

生きていたら

また違ったことが見つかる筈です。

もっと時間をかけたら

他のものに変わるかもしれません。

 

もし、あなたの人生で

大切な何かを喪ったばかりなら

自分自身を責めるのも

傷つけるのも最小限にしてください。

代わりに  喪ったものへ祈ってください。

 

『安らかでありますように。』

『愛しています。』と。

 

お盆を迎える今だから  境がぼんやりとして

伝わるような気がします。

 

生きていても  死を迎えても

できるのは《愛すること》

なのだと思います。

 

真っ青に輝く空を見上げて

此の場所から

あなたの幸せをお祈りします。

mary