私たちは皆 等しく
同じ命の重さを持っていて
誰もが尊い存在です。
それは 何一つ持たずに
裸で母親の胎内から生まれ出て
何一つ持たずに 死の淵へ旅立っていく
その時のことを思うから
尚 感じるのかもしれません。
ところが そんな風に
自分以外の世界を生きる人々を
『皆等しく尊い存在である。』
とは なかなか思えない時があるのです。
例えば
大きな災害に遭っている
遠くの人の痛みなら
自分から寄り添って
思いやりたい気持ちになるような気がします。
けれど、身近かな環境で
家族や地域の小さなコミュニティーだと
小さなボタンの掛け違いなどから
相手の気持ちに寄り添って
思いやろうとは 思い難くなるのです。
そんなこと ありませんか?
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人には 見えるハンディキャップと
見えないハンディキャップがあります。
見えるのは《肉体の外》に
見えないものは《肉体の奥底》に現れます。
思い付く見え難いものをあげてみます。
etc.全てがハンディキャップとは言えなくても
まだまだ 沢山ある筈です。
ブラックホールみたいだったり
自分の一部だと感じる
目に見ることはないハンディキャップ..。
みんな少しずつ
人よりも苦手なことがあります。
そんな重たい荷物を沢山背負って歩きます。
ハンディキャップと認めても
認められなくても
違っていることが 明らかな個性です。
ハンディキャップを持つ人に
知らないで行ってしまうことがあります。
それは相手の心地よい範囲を越えることです。
ハンディキャップを
知っていても何も行えず
空回りすることが沢山あります。
越えられないのは 自分が作る壁です。
ハンデは各々の物だから
その人自身が背負います。
各々の人生を 持っているものを背負って
自分の足で歩くのです。
見えても見えていなくても
ハンディキャップを個性の一部として
互いに認め合えたら素敵✨だと思います。
あなたは自分のハンディキャップが
見えていますか?
隣の人の
ハンディキャップは見えますか?
いつか皆 目に見える
ハンディキャップを背負います。
そのことを忘れずに
同じ世界に出逢えた奇跡を
大切に喜べたら素敵✨です。
春風が運ぶのは
花の香りだけではありません。
アレルギーを起こす花粉も
運ばれてきます。
全てが完璧だと感じられなくても
きっと 全ては完璧に行われます。
その完璧な世界の
大切な一人であるあなたが
幸せでありますように…。
同じ世界の片隅から
あなたの幸せをお祈りします。
mary