何かを 好きとか嫌いとか
感じることがあります
違いを感じると
憧れを感じたり
恐怖を感じたり
違和感を感じるかもしれません
自分の命の振動と違うリズムだったり
自分の今迄培ってきた価値観と違ったり
周りに漂う雰囲気が違うから
距離を感じてしまいます
誰かの好きは
あなた(わたし)の
好きではないのかもしれません
誰かの嫌いは
あなた(わたし)の
嫌いではないのでしょう
自分とは違うものを
苦手だと感じたり
自分の想像を越えるものを
恐ろしく感じるのは
当たり前の感覚
けれど それが
個人的な感覚なのだと知っているのは
大切なことかもしれません
感覚も正義感も
自分の心の中に在るものだから
正しさも常識も
見方によって全く違うものに
なるかもしれません
誰より完璧なあなたでも
世界の出来事によって
変わり続けるなら
昨日の正しさは
今日には当てはまらなくなるかもしれません
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過去に起きた 敗戦や
震災によって
それまでとは違った価値観が生まれました
皆 同じ時期でなかったとしても
ある時から
誰かと同じではない
自分の中に生まれる感覚に気付いて
慌てたことはありませんか…。
もし 『あれ?』『何?』と思ったら
それはとても 大切な感覚だから
見ないふりをしないで居てください(^^)b
誰かの感じ方で
自分も感じようとしなくても
良いのです
あらゆる可能性の中で
変わり続けていく自分の感じを
《在る》と 感じて意識したら
その瞬間に 世界が変わって見えてきます
昨日と違う自分の感覚を感じて
喜べたら素敵です
例えそれが
少しの痛みを伴っていたとしても
自分の全部を『YES』と 言える
勇気をもてますように…。
気付いてしまった自分の感覚で
世界を見たら
過去の自分の中に培ってきたものたちは
別のものに見えてくるかもしれません
ある日『さようなら…』そう 別れを告げて
過去の様々な基準を手放す時
全ては 不確かなものなのだと
忘れずに居られますように…。
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わたしが子供だった頃には
まだ SNSなどは無かったので
呟いた言葉は 周りの誰かか
自分に聞こえるだけでした
それでも 言葉が口から出た途端
尾ひれが付いて どんどん
別のものへと変わったり
一番聞かないで欲しいと思う人の許へ
流れたりしました
それは リアルな出来事ですが
そうやって 言葉の
大切さや 畏しさを
少しずつ知ったのだと思います
何となく呟いた言葉の行方は分かりません
誰に届いて
どんな受け取り方をしているのかも
自分がコントロールできることだけでは
ないのだと思います
今は 顔も名前も知らない人の
呟きが
あっという間に届きます
そして 瞬く間に
消えていきます
そんな誰かからの 何かへの呟きは
ページを開く度 流れ出します
そんな世界で 何かを知る時
出来事の有りの侭なら
シンプルで分かりやすくなります
主観のないものの方が
少ないかもしれないから
・・・その時には 感じたまま
自分のセンサーを大切にしたいと思います
・・・
自分の思考に
いつも誰かの意見が入って来るなら…。
自分の中でオリジナルな
新しい感覚を結ぶのは
意外に難しいのかもしれません
それでも 自分の船の舵を
誰かの手に渡さぬように
自分の評価を
誰かに任せないで
自分のことを
一番に
信頼できますように…。
そう 思います
自分が変わり続けていることを知って
違うものを《違う》そう 感じるだけ…。
変わり続けても それが自分の感覚だと
知って 大切にできますように…。
曇り空を見上げて
同じ大地の上から
あなたの幸せをお祈りします
mary