あなたへの手紙・日向真理愛

未完成の人生を生きる私が「あなたに会えてよかった。」そう手紙を書きます。

あなたへの手紙✨命のこと


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命の時間は

生まれた時に 

だいたい決まっているのだと

 

幼い日  祖母から

《人は一生の内に食べる米粒の量を

    決められて生まれてきていて

    食べきらなければ死ねないのだ》と

聞かされたのを  ふと思い出します

 

祖母は明治生まれで  気丈な人でしたが

六十代半ばで祖父を亡くした境遇の中

 

決められたお米を食べきることで

この世でのお勤めが終わるのだ と

 

孫の私に話ながら 

もしかすると  自分自身にも

まだ終わらない人生を思って

生きるしかないのだと

言い聞かせていたのかもしれません

 

苦労の沙婆と言いながら

それから二十年以上の歳月を

一人で過ごし 

 

九十六年の生涯を終えた

その時に  見たものは何だったのか…。

 

そして  生まれた時に決められたという

お米を食べきって逝ったのだろうか…と

 

身近な一人の人の人生に想いを馳せます

 

                            ***

 

命のことを想う時  

不思議と  亡くなった人を思います

 

思い浮かぶ  どの顔も

同じ命の輝きで  わたしの中に…。

 

関わり方や  近しさに違いはあっても

命として  尊さは同じような気がします

 

亡くなった時

若くても  年齢が高くても

重要な役割を持っていても  いなくても

 

頭脳明晰でも  そうでなくても

資産を持っていても  いなくても

 

心の中に居る  その人々は

皆  生きていたということだけが

共通しているだけで

 

この世界から死によって去って  

同じ世界にはもういないのですが

 

心の中の扉を開けると

よい思い出も  そうではない

やり直したくなりような思い出も

その人として  鮮やかに蘇ります

 

                         ***

 

生きている人を思う時

人は  当たり前ですが

生きているから  刻々と変わり続け

 

沢山の周りのものから影響を受けていて

その人自身を見るのは難しく感じます

 

生きていると 

毎日いろいろなことが起こって

 

自分のこと

自分に関係あること

全く関係ないのに見えてくること

 

情報が溢れている今日には

当たり前になった

遠くにある知らなくてもよいこと

(知らなくても生きていけること)を

知って混乱することもあるのです

 

一人の一生の中には  とても出てこない

あらゆる情報が飛び交い 

それらは  此方の都合に関係なく

流れていきます

 

それは  ある時には安心する要因で

またある時には 不安に結び付いて

《わたし》というものの一部になって

 

命は  そうやって

様々なことに触れ  膨らんだり萎んだり

して時間を過ごしてい時を刻みます

 

それでもきっと

必要なことしか起こらない…。

 

生まれた時に決まっているかもしれない

お米の数を食べきって

この世界から去っていく時

 

その一人一人の命の重さ  尊さは

同じで在るような気がします

 

各々に変わるのは  生きている

この世界に遺された人の想いで

 

惜しんだり  悔やんだり

一緒にいたいと想ったり

 

生きたかっただろうとか

幸せな人生だったとか

 

亡くなり方や  この世界に居たことを

好きなだけ思うような気がします

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

生きている時間は  なかなか

自分の思い通りにはなりません

 

お米の数をどれだけ食べきれば

良いのかも知らされてはいないから

 

生きていて  自分の力の及ぶ世界で

命を燃やして過ごします

 

大きな出来事に出逢った時は

ただひたすらに  今へと

身を尽くし

 

自分の命を大切にするように

誰かの命も大切に思って

 

生きていることの素晴らしさを

いつもいつも感じながら

行うことに力を尽くして過ごすだけ

 

一つの命として  この命を

全うするのだと言い聞かせながら…。

 

自分という未知を大切に過ごすこと

それだけが確かなことだと思うのです

 

晴れた空を見上げて

何処かで誰かも

同じ空を見上げていると

・・・嬉しくなって

 

春を待つ  大地の片隅で

あなたの幸せをお祈りします

mary