時間の認識
南向きの窓を通りすぎる太陽を眺めながら、自分が感じる1日の長さ、昼夜に感じている時間の長さの違いを考えます。
1日は24時間だと幼い日から教えられ
常に時計を意識した生活をしていました。
《早起きは三文の得》
などと言って育った頃 1日はとても長かったのです。
子供の頃おやつにさつま芋をふかしてもらった時、待つ時間の長かったこと。
叱られて正座している時も、今は想像ができない程果てしなく長く感じたものでした。
反対に、本を読んでいる時、料理をしている時、絵を描いている時などは信じられないくらい早く時間が経ちました。
他にも
ファミレスで向かい合って話をする時、目の前の相手が感じる時間の長さは私が感じる長さと同じなのでしょうか。
夏の暑い日の1日と冬になりかけの今の時期に感じる1日の長さは同じなのでしょうか。
木や草のような植物が感じる時間は人が感じるのと同じなのでしょうか。
疑問は次々やって来ます。
きっと時計の針の動きは同じなのだと思います。それでも、感じている時間の長さは違うような気がします。
モモ
“モモ”という児童書を沢山の人が読み、マスコミに取り上げられたことがありました。時々そうやって流行る本があります。私もオレンジ色の表紙に惹かれ読んだ覚えがあります。時間の長さの考え方が変わるような気がしました。けれど、その波は一瞬で過ぎ去っていきました。
モモは私の記憶の中に生きています。
日常の中で
人に会って過ごす時間と
買い物をして過ごす時間
一人で本を読んで過ごす時間
物思いに耽って過ごす時間
皆、各々違う長さに感じます。
大好きな人と一緒にいる時間と
嫌いな人と一緒に過ごす時間は
同じ1時間でも全く違うのです。
時を重ねる果てに
長さの感じ方が一定でないのなら長生きの観念も変わって来るような気がします。
人の一生の長さは各々違います。
往々にして私たちはその長さを問題にします。そして平均寿命が長くなった現在、それよりも早く逝ったことを惜しみます。
勿論一方でそれは真実です。
ただ、それはもしかしたら、遺されている私たちの思いが優先しているのかもしれないと思うことがあるのです。
ひとつの人生が豊かに結ばれていくことの尊さを思うと、長さも重さも、豊かさも、人生の持ち主でしか知り得ない理が在るように、いつしか全ては時宜に叶っているのだと思うようになりました。
“1日を大切に過ごす”
その大切はみんな違います。
他の人の感じる大切を自分に当てはめる必要はありません。
ただ、その日その時を本当の自分で居られるように心がけます。いつか私の時間が終わる時、何処から見ても私で在りたいと思うから。何年時間を経ても、天国へ出張中の大切な人が見つけてくれる私で在りたいと思います。
時間の長さの感じ方は不思議なくらい違っています。
どんな過ごし方が優良か考えるより、生きる自分も他人も認められるような気持ちで居たいと思います。
あなたが自分のいる場所で時間を送る、それだけが大切なことです。
私も自分のいる場所で時間を送ります。
あなたの幸せを祈って時間を過ごします。
以下は過去の記事です。お読み頂けたら幸いです。
marymateria1113.hatenablog.com
mary