あなたへの手紙・日向真理愛

未完成の人生を生きる私が「あなたに会えてよかった。」そう手紙を書きます。

あなたへの手紙・自由

自分のままに

心の中に生まれた感覚を

思ったままに

伸び伸び絵に描いて表現したり

想像して楽しい気分に浸るなら

眉をひそめられることは無いでしょう?。

妄想💦?空想💨?で

💓空を飛んでも大丈夫ですよね。

 

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ところが

いざ、自分の好きなことをしようとすると

なんとなく罪の意識を感じることがあるのです。

自分だけ美味しいものを食べる時

一人で旅行に出掛ける時

etc.

後ろめたい気持ちや罪悪感を抱いてしまう

悪い癖がありました。

 

誰かにお金を借りてしている訳でもない

誰かを待たせている訳でもないのに

楽しんでいる自分に

居心地の悪さを感じてしまうのです。

 

それは…。まるで自分が自分を

小さな場所に閉じ込めようとしているみたいに

不自由な環境に追い詰めていくのです。

心の奥で呪文のように

「もっと苦労しなくちゃ幸せになれない 。」

「自分はまだ幸せになる資格はない。」

「自分だけ幸せにはなってはいけない。」

そんな風に思っていたんですね。

 

まったく大きな勘違いでした。

人は自分の人生を生きる中で幸せを感じます。

誰かを幸せにすることも

幸せを誰かから貰えることも無いのです。 

それなのに他人の境遇や思いを解ったように

誰かの為にとか

誰かと比べてみたりして

自分や他人を推し量っていたなんて。

大それた考え違いをしていたのです。

それなのに  まるで自分の使命のように

本気で自分が幸せになることを避けて

楽しんではいけないように

感じていました。

 

み・ん・な

錯覚。

大きな勘違い…だった。と

今は思います。

 

30年以上前

「自分が幸せでない人が他人を幸せにできるの?」

そう、言われたことがありました。

なるほど‼

その時は不確かで新鮮なだけだった言葉が

今は時の重さを加えて確かなものになりました。

 

その声は形を変えて

今も何処からか響いてきます。

「自分が幸せだったら他人を幸せにできるよ。」

 って。

生きる力

自分が元気で  活き活きしていたら

誰かと一緒に生きることができるかもしれません。

出逢った誰かへ暖かい気持ちを贈ることも

できるかもしれないのです。

 

そのために

ただ自分が自分に  楽しむことを

「許す」と言えばよかっただけなのです。

楽しんだり喜んだりするのに

なんの資格もいりません。

「楽しいことをして良いのだよ。」

「自分のままやりたいことをしてごらん。」

と許可したら

それだけで

小さな奇跡✨✨✨ が始まります。

それだけで

幸せな気持ちはやって来ます。

 

好きなことを  自分に由って生み出すことに

罪悪感は似合いません。 

 

何かのきっかけから作ってしまった

思い癖。

何かに刷り込まれたか

何かと契約を結んだか。

今はもう覚えていないくらい

当たり前に

自分を罪人のように捕らえた思いを

これからの人生から 

今直ぐに

消去します。

 

自分の人生で(責任をとれる範囲の)

楽しみや喜びを求めること

それは

生きることの目的のように

自然で素敵✨✨なことなのです。

 

今直ぐ心の扉を開きます。

ひとりでも

誰かと一緒でも

『生きている瞬間を楽しんで良いのだ。』と

そっと語りかけてみるのです。 

 聞こえていますか?

『自らに由って生きる』

それは素晴らしいことです。

『人生を楽しむ』

それは生きることです。

『幸せを感じる』

それは生きる目的です。

スッキリした頭の中に記します。

 

[愛する]ことに

繋がる何かは人によって違います。

その愛せる自分になるための[鍵]

それが自分のままで

自分を頼りに生きること

自由に生きていることなのかもしれません。

 

また寒さが引き返して来るそうです。

❄⛄❄もう少し冷たい風に吹かれて

春の陽を夢見ながら

そのままのあなたが

幸せを感じていることを

祈っています。

mary