この雲のように
私達はこの雲のように
一瞬一瞬形を変えながら
重なったり
くっついたり
それから
消えて無くなったりするように
どこからどこまでが自分だなんて
境目を
初めから持たないものだった
気がするのです。
・・・何をまた突飛なことを。
そんな声が聞こえてきそうですが…。
『〇〇〇なんだよ。〇〇〇しなさい。』
ずっとそう教わってきたから
人と人の境目はハッキリと区切られて
距離をおくようになった気がします。
皆 同じように
人の形でいなければいけないと
ある時から
思い込んでいただけかもしれない。
そう感じているのです。
『いやいや そんな…。』そう言いながら
あなたはきっと 激しく手を振って
笑っているかもしれないですね…。
ただいま検証中…?なので
(*^^*)暫くお待ち下さいませ✨
お行儀良くしなければいけない。
思いやりを持たなくてはいけない。
・・・〇〇しなければいけないと
思い込んで来たような気がしています。
それは大切なことだけど
強制するものではないのかもしれない。
と感じるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんな風に感じるようになって
音にした言葉ではないことも感じるのです。
言葉としての日本語や英語
あらゆる言語が
頭の中に流れる訳では無いのですが
語りかけられているように感じたり
呼び掛けらているような
思いが伝わって来ることがあります。
私の感じることを
何と呼ぶのか定かではないですが
感じる感覚です。
それも 自分と誰かとの
境目がハッキリしていないように
感じることの一つです。
いっぱいいっぱいに膨らんだ思いを
黙っている人からは
声ではない何かを感じます。
思いが流れてくることがあるのです。
そっと受け取って 音のある
キャッチボールができたら素敵✨です。
誰かと心が触れ合っていると感じることは
自分が大切な存在であると
気付かせてくれるのです。
そのことに気付いたら
輝き出す霊(たましい)たちがいるのです。
黙っていなければいけないと思い込んだ人
言葉にすることに慣れていなくて話せなかった人
皆 各々に大切な存在なのだ。と
気付けたら 本当に素敵✨✨です。
皆
伝えているのです。
声でなくても 何かの形で。
境目を感じないことは
豊かなことです。
あなたが幸せを感じていたら
私も幸せを感じるから…。
あなたの幸せを
遠くに居てもお祈りしています。
mary