あなたへの手紙・日向真理愛

未完成の人生を生きる私が「あなたに会えてよかった。」そう手紙を書きます。

あなたへの手紙✨最期の意志


f:id:hinatamary1113:20200122002744j:image

 
最期の日

身近な人の死を経験した時

そして  自分の死を想う時

 

今までは考えなかったようなことを

考えずにはいられなくなる…。

 

そんなことがあるのかもしれません

 

例えば

何処で

誰に

看取られるのか…なんてこと。

 

看取った人だから抱く

後悔や自責の念を感じることも

あるかもしれない

 

自身の命に

期限を感じる場面に出くわして

ふと  想うこともあるかもしれない

 

そんな時  今まで無かった 

思考回路が繋がります

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

まだまだ平均寿命に満たなくて

 

日常の中では 

人の死に触れることは少ないから

現実に考えることは無かったのに…。

 

突然  自分のこととして

考える機会に恵まれると

 

死は誰の上にも訪れるから

考えずには居られなくなるのかもしれません 

 

 

選択肢を選んでも

誰と一緒で  何処に居るのか

 

思い通りになるとは限りません

 

それでも  自分のこと…だから

希望的観測で  書き留めておくのは

突然のアクシデントに遇った時

有効なのかもしれません

 

幾つかは  決められることもあるのです

 

自分が危篤になった時

どこまでの延命措置をしてほしいか…。

 

最期に何処に居たいのか

(想いが叶わないこともありますが…。)

 

臓器提供の有無を  意志表示しておくこと

 

突然のアクシデントや病気や怪我や天災で

口がきけなくなって意志疎通が不可能な時

 

伝えられるものが有るならば

 

居合わせた  周りの人は

分かりやすいのだと思います

 

 

家族が側に居ても  居なくても…。

 

最期の時のこと

書き残したり  話し合ったり

 

自分の気持ちを伝えておくことは

大切なのかもしれません

 

死にいく自分は勿論ですが

それ以上に  介護、看病、看取る人

 

この世界に遺していく人へ

《私》を  伝えられたら幸いです

 

 

自分が送られる側に立った時

 

想いを繋ぐ行いは

贈り物のように  心を楽にするのです

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

過去の日に  大きな喪失を経験して

『誰のことなのか』

よくよく考えた時がありました

 

感情ならば

誰の哀しみ  なのか

誰の痛み  なのか

誰の怒り  なのかetc.

 

 

物事を行う時に

誰を主人公にして考えるのか…。

と  いうようなことも

 

日常では  深く考えていないことを

 

誰かの死に深く触れたら

 

受け取るのかもしれません

 

私には

それが  とても有難いことに感じたのです

 

 

その経験が 

逝くことと

送ることの

大切さを教えてくれたような気がします

 

 

そして  遺された者  各々が

『自分にも  できることがある』

そう思えることで 救われて

 

『決められたことを行う』

共通のビジョンを持てたことは  幸いでした

 

シンプルなことだけでよかったから

他のことに時間を使うことができたのです

 

 

・・・決めたからと言って 

            その通りになることばかり

             ではありません・・・

 

けれど  小さな一つでも

できることが残されていて

 

できたなら  ホッとするのだと思います

 

そして

遺された者は  胸に覚える痛みと共に

否応なく  学ぶのかもしれません

 

『自分を終る日』 が来ること

 

 

だからこそ  今を生きている

面白さ(興味深さ)があるのです

 

それだから尚  生きていると感じます

 

そして  雨の雫の落ちる音を聞きながら

この空の下に居て

あなたの幸せをお祈りします

mary