人の姿というのは 一般的に
肉体を指すのでしょう
年齢や大きさ 筋肉の付き方
好みこそあれ醜美など
あらゆることが含まれた
一人の個体を形造る
一塊の命の結晶
その姿は唯一で
その人生を経験するのは
その人でしかないのだと
今更ながら思います
そして 本当に驚くほど簡単に
その姿は変わっていくのでした
少し離れていただけなのに
その暮らしや その土地や
周りの人々に育まれて
人の姿は変わっていきます
***
『お元気ですか?』そう
問われて
『お陰様で。』そう
応える
幼い頃聞いた 大人たちの挨拶には
よく『お陰様で…。』が
ついていたように思います
健やかな暮らしも
そこに恵まれた幸せも
災厄でさえ
過ぎ去って無事なことを
『お陰様で』と口にして
お陰様は 尋ねた相手に対する
お陰様だけではない
何か 目に見えない
大きな力に対する思いも含まれる
お陰様だったのだと思います
そうして 人の手に負えること
ばかりではないことを
暮らしの中で自然に感じて
お陰様で…。と
やっぱり口にしています
それは 諦めとは違う
出来ることはして
『後はお任せします。』
そんな感じで使っているのです
***
そんな風に 大きな力に
守られたり 助けられたり
導かれたり…。
誰かではない この世界全てから
育まれているとしたら
もし 隣に誰か居なくても
孤独では居られなくなります
今 力を尽くしても
人の力の及ばないことに遇ったら
待つことや 工夫すること
そして変わり続けることや
受け入れること…etc.を
学んでいくのかもしれません
そして 少しの希望や喜びに
『お陰様で…。』
そう言って感謝して
それは 奥歯を噛み締める時も
恐怖や不安に 震える時も
涙に暮れる時もあるけれど
そんな時は そっと頭を低くして
心の中の 嵐が過ぎ去るのを
待ってみるのです
泣きたい時にはそっと涙して
笑いたくなるまで 丁寧に
自分の心と一緒に居られたら
お陰様…そう
口から零れるかもしれません
そんな日々の暮らしの中の
小さなことは
鏡に映して見られないけれど
その全部で形造られた
唯一の命だから
雨上がりの風が爽やかに
大地の上を通り抜けていく
この世界の片隅で
あなたの幸せをお祈りします
mary